2015 SUPER GT Rd.8もてぎ大会レポート

2015 AUTOBACS SUPER GT ROUND 8



開催地:ツインリンクもてぎ(栃木県)/4.801km
11月14日(予選)天候:雨
コースコンディション:ウェット 観客数:17,000人
11月15日(決勝)天候:雨のち曇り
コースコンディション:ウェット~ドライ 観客数:33,000人



コンディション変化をものとせず、ポール・トゥ・ウィンで2勝目。
有終の美を飾る!

早いものでスーパーGTも、最終戦を迎えることとなった。全8戦の総決算ともなるレースが栃木県のツインリンクもてぎを舞台に、11月14〜15日に開催された。すでにGT300ではドライバー、チームともにチャンピオンが決まっているものの、「TOYOTA PRIUS apr GT」を駆る、嵯峨宏紀選手と中山雄一選手はひとつでも上のランキングを、そして何より開幕戦以来となる2勝目を目指す。

この最終戦はご存知のとおり、全戦出場しているチームであれば、それまで積んで来たすべてのウエイトハンデを下ろすことが可能。素のポテンシャルが重視されるノーハンデという条件は、先にも述べた勝った開幕戦に共通する。最速の称号を得るにはまたとない機会でもあり、気持ち良くシーズンを終えるためにも、必勝体制で臨んでいたのは言うまでもない。

公式練習 11月14日(土)8:50〜10:26
搬入が行われた金曜日までは好天に恵まれていたものの、天気予報で告げられていたとおり、土曜日は早朝から雨模様。今季最後の戦いに水を差さないことを祈るばかりであったが、そんな心配はこと「TOYOTA PRIUS apr GT」に関しては無用でもあった。最初にステアリングを握った嵯峨選手は、誰よりも早く1分57秒台に入れてトップに浮上。その後、ピットでセットアップが進められる間にトップの座を明け渡したものの、またコースに戻るとやはり1分56秒台への突入も一番乗り。1分56秒257をベストタイムに、ほぼ折り返しのところで嵯峨選手から中山選手に交代する。

中山選手は決勝のセットを詰めるべく、いったんは連続周回をこなしていったが、再度ピットに戻った後はアタックモードにも突入。すると1分56秒165をマークして、またしてもタイムアップを果たしたばかりか、1周のクールダウンの後、1分55秒954を叩き出す。この後、誰も1分55秒台に入れることはできず、ぶっちぎりのトップとなる。混走のセッションが間もなく終了となる頃、90度コーナー先のアンダーブリッジでクラッシュした車両があり、いったん計測は中断。そのころ、すでに中山選手はピットに戻っており、単独のセッションを走るべく嵯峨選手が準備中だった。

そして、1分だけ延長されて計測は再開。順調に周回をこなしていた嵯峨選手ではあったが、終了間際に3コーナーでコースアウトしているではないか! 足まわりにトラブルが発生し、コントロールを失っていたのが原因だ。

公式予選 Q1 10月31日(土)14:00〜14:15
公式練習の後に行われたサーキットサファリに「TOYOTA PRIUS apr GT」は出走せず、その間メカニックによる懸命の修復が行われていた。予想していたより遥かに時間がかかり、ようやく動き出したのはQ1が始まって4分経過したところ! ということは、アタックのチャンスは10分強しか残されていないとも言えた。いかに雨は弱くなっているとはいえ、低めの温度を思えば、タイヤを十分温めるまでには至らず、ということも考えられたが、中山選手は果敢にコースを攻め立て、条件を整える。

その結果、最初のアタックからその時点でのトップとなる1分58秒264を出し、1周のクールダウンを経て、56秒223をマークする。もちろん、これはトップタイム。その後も破る者は現れず、Q2に控える嵯峨選手にバトンをつなぐこととなった。

公式予選 Q2 11月14日(土)14:45〜15:57
中山選手からのインフォメーションを受け、意気揚々とコースに挑んでいった嵯峨選手。しかし、走り始めてすぐ、あまりもの雨の勢いにタイヤがマッチしないことに気づき、2コーナーを立ち上がってすぐピットに無線を入れる。その後、ピットに戻ってタイヤを交換。ただでさえ、Q2の計測はQ1より短い12分間、下手を討てばアタックする前にチェッカーが振られてしまう。

最終のビクトリーコーナー手前は、とりわけ水の量が多く、ライバルにコースアウトが相次いだものの、交換したソフトタイプのタイヤは、しっかりと路面をつかんだ。貴重な1周の機会に、嵯峨選手は2番手をほぼ2秒も引き離す、2分0秒602をマークしてトップに。その結果、「TOYOTA PRIUS apr GT」は第2戦・富士以来、今季2回目のポールポジションから決勝に挑むこととなった。

嵯峨宏紀選手
途中でピットに入ったのは、最初にQ1と同じタイヤをチョイスしていましたが、出てすぐ、もう2コーナーを曲がった時点で、これはヤバいなと感じたので、「もうひとつ柔らかいタイヤを用意して」と無線を入れました。でも、できるだけアタックの時間を伸ばしたかったので、危ない中もアウトラップは全開で走って何とかピットに帰って来て、すぐにタイヤを換えて。計測1周目は雨がさらに強くなり、しっかりアタックする前にいいタイムが出るコンディションは終わっちゃったかな、という感じだったんですが、そういう中でもうまくタイヤを温めることができて、ポール獲れたのはすごく嬉しかったです。決勝の雨が強くても弱くても自信はありますし、仮にドライになったとしても、先日の合同テストで好タイムは出せていたので、勝つ自信はあります!

中山雄一選手
僕が走ったQ1は、まだ天候は安定していましたし、朝のフリー走行でも好タイムだったので、通過することは問題なくできるだろうと、落ち着いて走れました。ただ、朝のフリー走行の最後にトラブルが出てしまって、その修復に時間がかかって、予選が始まって4分ぐらい経ってから出たので、タイヤが温まるか不安がないわけではありませんでしたが、いいタイムが出せたので満足しています。明日は朝のうちに雨がやんで、どんどん乾いていくと思うんですけど、今日も刻々と変わる中でコンディションに対して、いいタイヤをチョイスできたのが、この結果の要因だと思うので、明日もコンディションに合わせた、いいチョイスができるかどうかが決勝の鍵を握ると思います。

金曽裕人監督
朝のフリー走行でサスペンショントラブルは思いのほか重症な状況でありQ1に間に合わない可能性も十分あった。順調な仕上がりのプリウスと強烈なパフォーマンスを発揮するBSタイヤを用いれば最終戦はポール獲得できると信じていた。その気持ちはSTAFF全員の思いであり、懸命な修復にて何とかコースインができた。一時は運にも見放され意気消沈してしまったが、ドライバーもメカニックも関係する皆様全員の諦めない気持ちがポールポジションという成果につながったと思う。明日も同じ気持ちで悔いなきRACEを行い優勝のみを狙い、有終の美を飾りたい。

決勝日・フリー走行 11月1日(日)9:00〜9:30
日に日に改まる天気予報では、決勝レースが行われる日曜日には晴れ間も見えるとされたが、外れてしまって早朝まで雨が。しかしながら、そんな濡れた路面でのフリー走行でも「TOYOTA PRIUS apr GT」は終始トップをキープした。
嵯峨選手がピットイン〜アウトを行い、すぐに中山選手に交代。4周する間に1分57秒830をマークする。15分ほど経過したところで、再びイン〜アウトを行なった後、セッション後半は嵯峨選手がドライブすることに。そのままチェッカーが振られるまで走行し、最後に1分57秒363をマーク。予選後のコメントが、より一層現実味を帯びることとなった。

決勝レース(65周)14:00〜
フリー走行の終了後、雨はやんで路面は徐々に乾いていき、もう少しでドライタイヤを履けそうな状況になっていたことから、決勝レースのスタート進行は10分間先行されて、ウォームアップ走行は10分間追加の18分間で行われることとなった。まずは嵯峨選手がウェットタイヤを装着して、2分2秒245をマーク。すぐにピットに戻ってドライタイヤに交換する。しかし、タイムは一向に伸びず、最後に中山選手もドライブしたが、状況に変化はなし。そのため、スタートを担当する嵯峨選手は、ウェットタイヤに改めて「TOYOTA PRIUS apr GT」をグリッドに並べることになった。

スタート前のセレモニーが行われる間に、路面はさらに乾いていく。タイヤを交換すべきか……。しかし、天は「TOYOTA PRIUS apr GT」に味方した。通り雨ではあったものの、激しく路面を濡らしたこともあり、ドライタイヤでは困難だと判断することができたからだ。結局、全車がウェットタイヤを装着して決勝レースに挑むこととなった。今回も栃木県警のパトカー先導によるパレードランが実施され、選んだ硬めのウェットタイヤでも十分機能するのを確認した嵯峨選手は、続くフォーメイションラップでしっかりクルマを振って、コンディションを整える。

シグナルがグリーンに変わった後、1コーナーに嵯峨選手はトップで飛び込んでいき、さらに後続の激しいバトルにも助けられ、早々と1周だけでほぼ1秒のリードを築く。そのままアクセルを少しも緩めることなく5周目には、リードが約10秒に。路面が乾いていくにつれ、ライバルの多くはストレートのイン側を走るようになる中、「TOYOTA PRIUS apr GT」だけはしっかりレコードラインをトレース。当然、後続車両は遥か彼方。1/3の周回数を超えたあたりから、ピットに戻る車両が相次ぐが、それでも嵯峨選手のタイムは落ちず、リードは30秒を悠に超えていた。

「次の周にピット」と無線で指示が入ったのは24周目。だが、その周には2コーナーでアクシデントが発生しており、散乱したパーツを回収するため、間もなくセーフティカーがコースに入る。ピットロードクローズドになってしまったため、嵯峨選手はコースでの待機を余儀なくされる。そこにピエール北川アナウンサーの悲痛な叫びが、中山選手やスタッフの耳に。「これで最後尾に後退だ〜」と。


28周目にようやくピットレーンオープンとなり、「TOYOTA PRIUS apr GT」が戻ってくる。中山選手への交代と併せ、ドライタイヤに交換。そして隊列の最後尾に戻った直後に、セーフティカーが戻ってバトルは再開される。嬉しい誤算だったのは、確かに最後尾ではあったものの、それまでに築いた大量のリードとセーフティカーの位置によって、多くの車両が周回遅れ状態になっていたこと。そのため、中山選手は4番手での復帰となったのだ。しかも、トップとの差はわずか8秒!


そのことを無線で聞いた中山選手は一転、冷静さを取り戻して前にいる車両を仕掛けにかかる。33周目にまず一台を、そして次の周にもう一台をパス。その段階でトップとの差は3秒あったが、ファステストラップも記録して、一気に近づくと少しの躊躇もなく、5コーナーで中山選手はトップに浮上。「TOYOTA PRIUS apr GT」は逃げ切りを果たすこととなった。

この2勝目によって、嵯峨選手と中山選手はドライバーランキング3位、aprはチームランキング2位を獲得。また、現行のプリウスGTでは最終戦がラストレースとなったことを、後にチームは正式に発表した。

嵯峨宏紀選手
一瞬、地獄から天国を見ましたね(笑)。僕のスティントでは硬めのウェットタイヤを選んで、かなりいいペースでどんどん後ろを離していたので、タイヤを温存しながら引っ張る方向でした。でも、セーフティカーのタイミングが悪くて、ちょうど僕らがピットに入る直前だったので、ピットクローズドになって入れなくなってしまって。それでもう絶望的だな、と思っていたんですけど、いつの間にか4位以下を周回遅れにしていたらしく、また4位で復帰できたので、中山選手が頑張ってくれてトップに立てたので、最初と最後は優勝することができました。チャンピオンは獲れなかったけど、いいシーズンだったと思います。

中山雄一選手
セーフティカーが入った時はもう終わったなぁ……と思って、チーム全体がお通夜みたいになっていたんですが、コースに出てみたら監督から「今、4位だぞ」って無線が入って来て、すぐ吹っ切れました。それからは逆にちょっと抑えて、冷静に行こうと考えて走りました。BSタイヤはまわりと比べてペースが格段に良かったので、どんどん追いつくことができて、500の集団と絡んだ時にうまくトップをかわすことができたので、そういうバトルもうまくできるようになってきたな、と我ながら感じました(笑)。前半、ちょい濡れの中で嵯峨選手が頑張ってくれましたし、マシンのパフォーマンスも、タイヤのパフォーマンスも良かったので、そのおかげだと思います。

金曽裕人監督
プレッシャーにならないように伏せていましたが、このマシンで戦うのは今回が最後のレースであり関係者全員が熱い気持ちになっていました。開幕戦で優勝し今期はチャンピオン争いに加われると思っていましたが、我々の実力不足でそれは果たせなかった。だからこそ、この最終戦でマシンともども有終の美を飾るためにも優勝以外は狙わないと全員で決めていました。そのシナリオは天候も味方し、BSタイヤの素晴らしいパフォーマンスを更に際立たせた。ところがSC導入によりもろくも崩れたが、嵯峨選手、中山選手、ピットクルーが最後の力を絞り出し、公言通り逆転優勝を果たすことができた。このマシンで4年間戦い目立った成績も残せずじまいでしたが、どんなに苦しい時でも、どんなミスを犯してもスポンサーの皆さまファンの皆さまとSTAFF全員で乗り越えてきたからこそプリウス最後のレースで優勝という栄冠を皆で勝ち取ったのだと思います。このマシンともお別れですが、何台も作ったマシンの中で1番手がかかり、印象に残ったレーシングカーだったと思います。でも最終戦、実力以上に1番頑張ったのは、この子だったのかなと思います。