得意のはずの富士で強いられた大苦戦。我慢の走りでしっかり完走果たす。

2017 AUTOBACS SUPER GT ROUND 2
FUJI INTERNATIONAL SPEED WAY
開催地:富士スピードウェイ静岡県)/4.563km
5月3日(予選)天候:晴れ コースコンディション:ドライ 観客数:34,100 人
5月4日(決勝)天候:晴れ コースコンディション:ドライ 観客数:58,000 人


決勝レース(110周) 5月4日(木・祝)14:10〜


ゴールデンウィーク真っ最中というだけでなく、連日天候に恵まれて行楽日和となっていたため、決勝当日の富士スピードウェイは超満員。2日間合わせ、92,100人もの大観衆が詰め寄せ、改めてスーパーGT の高い人気を確認させることとなった。午前中には一切走行がなく、スタート進行の開始と同時にウォームアップが行われる。ここでは決勝レースのスタートを担当する嵯峨選手が最初に「#31TOYOTA PRIUS apr GT」のステアリングを握ることに。20分間を最大限に活用、嵯峨選手はその間に1分39秒195 をマークする。終盤には久保選手も乗り込んで最終チェックを完了。


青空が広がる最高のコンディションの中、500km レースがいよいよスタート。嵯峨選手はオープニングラップでひとつ順位を落とすも、3周目には再び20番手に。しばらくはポジションキープながら、11周目には先行車両2台の後退と、1台をパスしたこともあって17 番手に浮上する。その後、しばし「#30 TOYOTA PRIUS apr GT」と連なって周回を重ねていた。

そして23周目には最初のドライバー交代を行うことに。「#31 TOYOTA PRIUS apr GT」に久保選手が乗り込み、タイヤは無交換でコースに送り出されることとなった。バトルモードにこそ入らなかったものの、先行する車両に遅れを取ることなく続いていった結果、全車が最初のピットを済ませると、久保選手は6番手に浮上していた。そして60周目に嵯峨選手にバトンタッチ。その際に、スタート時とはスペックの異なるタイヤを投入して、最小限の目標である入賞への期待が込められたのだが……。


再び全車がピットを終えた時の「#31 TOYOTA PRIUS apr GT」は11番手、その前の66周目には1台をかわしており、溜飲を下げていたにもかかわらず。せめてもう1 台と、必死に前を行く車両を追いかけていた嵯峨選手ではあったが、ゴール間際にはペースを保つことさえ許されず、94周目には1台にかわされていた。結局、最終的な順位はトップから1周遅れでの12位という、無念の展開となった。


嵯峨宏紀選手

「残念でしたけど、やれることはやったし、今の我々の戦力を露呈した結果になったかな、と。想像していた厳しい状況が見て取れました。最後のスティントで、違うタイヤを入れて、少しでも状況回復を狙ったんですが、かえって悪循環になってしまった部分はあるにせよ、それがなかったとしてもどれだけのペースで走れていたか分からないし、いずれにせよ苦しいレースでした。オートポリスでも苦戦すると思いますが、言ったところで状況が改善されるわけでもないので、なんとか1点でも多く取れる展開を続けていくつもりです」


久保凛太郎選手

「クルマ的にスピードが足らない事から厳しいのは分かっていたので、決勝で普通にタイヤ交換を2回やっていたら、まったく上に上がれないだろうということで、ポイントゲットを目標とした上で、タイヤ無交換を1回行こう、最後の気温が下がった時にペースが上がるようなタイヤで行こうと、そう作戦を立てたんですが。最初のタイヤはものすごく良くて、僕も無交換でもペースは良く、タイヤも壊さずに、いい走りができたと思います。どうしても、この富士では厳しいのが分かっていたし、分かっていた上で途中までうまくいっていたので、次のオートポリスはテクニカルコースなので、富士よりもいいレースをしたいです」


金曽裕人監督

「作戦も全部決まり、『よし行こう、これで行ける!』というぐらい、ブリヂストンのタイヤがものすごいパフォーマンスを発揮してくれたんですが、そもそもJAF 勢すべてにおいて、富士は壊滅的。その中で10位を獲るのが、1位を獲るのに等しいぐらい、難しいレースになってしまったのは事実なので、どう知恵を使えばいいのか、そこを考える余裕すらない、本当につらいレースでした。せめてJAF 勢の中で一番でいたかったですが、それができなかったのが残念です。次のオートポリスは震災の影響から2 年ぶりなので、速くても遅くても、九州のファンの皆様がSUPER GT を喜んでいただけるレースをいたします」